「THE HOUSE 金澤」のスタッフ日記&現場レポート
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昨日の高校野球・金沢高校やりました!10年ぶりの3回戦進出
相手の福島代表・聖光学院もよく健闘しましたね!負けはしましたが、
彼らの成長した勇姿は、被災地に勇気と希望を届けたことと思います。
実は私、試合前は両校とも応援すると宣言していたのですが、回を重ねるごとに
地元石川代表・金沢高校に勝ってほしい!って願っている自分に気づきました。
8回裏に1点返された時は一時テレビから離れ、けれども気を取り直して観戦し、
9回裏の2死満塁の聖光のサヨナラのチャンスでは、『あと一人!あと1球!』と
神様に、亡くなったじいちゃんに、ばあちゃんに心の中でお祈りしていました。
勝った金沢高校には、聖光の分まで勝ち進んでいってもらいたいですね
さて、神社や仏閣を訪れる際に、または訪れなくてもピンチの時に、
神様や仏様に自分の願いや望みを叶えてもらおうとする習慣は、
いつから始まったのでしょうか?
神様や仏様の立場に立ってみた場合(恐れ多いことですが)、
どんな人に恵みを与えようとするでしょうか!?
必死で願いを訴えてくる人と、願いを告白しつつ、自分の力で
頑張ろうとしている人、どちらに恵みを与えようとするのか?
また、そもそも神様というのは、収穫に対する
感謝の気持ちを伝える相手だったはず!
なので、神様にお願いするんじゃなくて、神様に感謝を伝え、
「神様を喜ばせたい!」と思うことが自然の流れなのでは!?
これからお参り・お祈りする時に、皆さんは神様に何を伝えますか?
(田野)
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